「ハードウェアとしてのグラビアアイドル」水着姿のアイドルたちが訴えかける「可能性」と「実用性」
雑誌のグラビアを飾る、水着姿の新人アイドル。それをじっと眺めるときの気持ちは、新しいパソコンのカタログを熟読するときの気持ちに、ある意味で近いものがある。
アイドルのグラビア写真と同じくらい上質な紙に印刷された、デジタルなシズル感たっぷりの写真。そのボディを細部にわたってなめ回すように見つめ、キーボードやスイッチ類の感触に思いをはせる。アイドルのプロフィール欄でスリーサイズを確認するように、仕様一覧表に記載されたCPUの速度やハードディスク容量やメモリ容量を何度も確かめ、その数字に思いをめぐらせる。
パソコンのカタログを熱心に見るのは、もちろんパソコンが欲しいときだ。カタログの魅力的な写真や性能を誇示した仕様表は、それが自分のものになって初めて可能となる「こんなことやあんなこと」を約束してくれている。つまり私たちは、カタログを見ながら、ハードウェアとしてのパソコンに内包された可能性を想像し、その可能性に欲情しているのである。
新人アイドルたちは、えてして布地面積の少ない水着でグラビアに登場する。「抜群のスタイル」「美脚」「爆乳」など、彼女たちのセールスポイントは様々だが、要するに「ハードウェア」の部分で読者に訴えかけているわけだ。そして読者は、彼女たちの写真を食い入るように見つめ、その「ハード」によって可能となるであろう「こんなことやあんなこと」を想像し、その可能性に興奮を覚えるのである。
しかし残念なことに、ここから先はパソコンのようにはいかない。パソコンはお金を出せば自分のものになるが、アイドルは違う。写真集は買えても、本体は基本的に非売品だ。どんどん新製品が発表されるのに、誰も現物を買えないパソコンみたいなものだ。こんなのって、ありだろうか。強まり続けるオレの可能性への欲情を、どうしてくれよう。
おそらく、こうした読者の欲情をうまくコントロールできるかどうかが、アイドルとしての勝負どころなのだろう。読者の関心を、歌や演技やトークといった彼女自身の「ソフトウェア」の部分に誘導することができれば、水着アイドルはめでたく卒業となる。読者の欲情は、アイドル自身の可能性に対する興味へと、巧妙にすり替えられたわけである。
もちろん「ギリギリまでハードで勝負」というグラビアクイーン系アイドルもたくさん存在するし、それはそれでひとつの生き方だ。その場合、彼女たちの写真は「可能性」というよりも、むしろ「実用性」において、読者の支持を集めることになるのだが。
さて、今回このページで魅力的なボディを披露した三人の女の子は、その恵まれたハードを武器に、これからどんな戦略を展開していくのだろうか。
『週刊文春』文藝春秋社 2002年
Posted: 水 - 6 月 7, 2006 at 01:03 午後