水 - 10月 20, 2010

『不可視化した境界』


今となっては本当に遠い昔のような話だが、この東京にも、かっては「ツッパリ」というライフスタイルがあった。一九七○年代後半から一九八○年代前半にかけて、上野・池袋・新宿といった東京の繁華街には、超ロングスカートのセーラー服で、薄くつぶした学生カバンをひらひらさせながら歩く女子高生たちの姿が、ごく普通に見られたものだ。


当時さかんに行われていた規律検査は、実質上この「ツッパリ.スタイル」を摘発し取り締る行為だった。教師たちは赤いマジックインキで印を付けた物差しや竹の棒を持ち、講堂に整列した女生徒のスカート丈をチェックした。インキの印が、学校の示す「規範」のデッドラインだった。そして、印より下にはみ出したスカートの布地の面積が、生徒の「逸脱」の程度に換算された。

このように、当時の学校では「ツッパリ」と「ふつう」との境界が、目に見えるものとしてはっきり存在した。しかもその境界は、ツッパリの側から、より強く引かれたものだった。そこにいたる事情はどうあれ、彼女たちにとってツッパリとは自分で選んだポジションであり、例の特異な制服の着こなしは、一種の態度表明だったのだ。学校が示すモラルの枠から逸脱するかわりに、彼女たちは自ら選んだツッパリとしてのモラルには忠実であろうとした。だから、単なるファッションや憧れでスカート丈を伸ばすような「ハンパ」な生徒には、容赦なくヤキをいれた。

ともあれ、逸脱していることを、生徒自身が制服の着こなしによって自己申告してくれるのだから、学校側としてはこんなに楽なことはない。「服装の乱れは心の乱れ」という標語のもと、カタチから入る生活指導が徹底的に行われたのが、この頃だった。

さて、もちろん現在の状況は、教師にとっても女子高生にとっても、こんなにシンプルではない。制服の着こなしや化粧の状態を見て、その生徒が集団の中からどれほど逸脱しているかを判断することは、今や教師にも親にも至難の技となっているようだ。

逸脱の程度が外見で判別しにくくなった主な原因は、三つ考えられる。第一には、逸脱のもっとも分かりやすい目印だったツッパリ・スタイルが、東京から消えてしまったこと。第二に、逸脱していない「ふつうの生徒」とはどんな姿をした生徒なのか、教師も親も、そして生徒たちでさえイメージできなくなっていること。ツッパリ・スタイルという異端が消えると同時に、ふつうの女子高生像も消えてしまったのだ。そして第三の原因は、前述の二つの出来事を生んだ原因でもある。すなわち、八○年代中期に始まった、制服のモデルチェンジ・ブームがそれだ。

制服の着こなしを基準にした生活指導が、いかに無力になっているかを示す興味深い工ピソードがある。渋谷区のある私立女子高に通う生徒から間いた話である。

タイムカードで生活管理をするなど、以前からしつけの厳しさで知られたこの学校では、六年ほど前に制服のモデルチェンジをおこなった。タータンチェックのスカートにエンブレム付きブレザーというニューモデルは、また多彩なオプション・パーツの組み合わせにより、何十通りもの着こなしが可能であることも、大きなセールスポイントだった。

学校の思惑通り、生徒たちは思い思いの色や柄のリボンやベストやコートを身につけて校門をくぐることになったが、やがて困った事態がおきた。指定のオプション品を着用している生徒が、生活指導の教師に校則違反でチェックを受けたり、逆に違反の私服セーターを着ている生徒が、見逃されたりするようになったのだ。皮肉なことに、制服を決めた学校自身が、あまりのバリエーションの多さに、全体を把握できなくなってしまったのである。

現在、この女子高の生徒たちは、極端に短いスカート丈にふくらはぎまで伸ばしたルーズソックスという最新流行のスタイルで、渋谷や原宿の街を元気良く遊びまわっている。受験案内の制服写真とは似ても似つかないその着こなしを、学校側がどこまで容認しているのかは知るよしもないが、少なくともモデルチェンジ以前の厳格な女子校の面影が、微塵も感じられないことはたしかである。

オプション品を選ばせることで生徒に見せかけの自主性を与えたり、タータンチェックで名門校を装ったりといった、私立高校の生徒獲得目的の戦術。それは物欲しげであるだけに、たいていの場合女子高生にまんまと逆手に取られる結果となっている。長いスカートで教師の反感を買うよりも、かわいいタータンのミニスカート姿で世間の男性の注目を集めた方がよっぽど得だということに、彼女たちは気がついた。かくして東京のッッバリは滅び、ふつうの生徒と逸脱した生徒との境界は、限りなくぼやけていったのだ。

前にも述べたように、ふつうの高校生から外れた何物かになりたい、またはならざるを得ない、という心情を表現したのが、かってのツッパリ・スタイルだった。それだけに、彼女たちは「ふつう」と「自分」との距離感を切実に感じていたし、「ふつう」から離れたこの場所でどう振る舞うべきかという彼女たちなりのモラルを真剣に考えていた。この距離感が、今の女子高生には決定的に欠如しているように思える。生徒自身が中心からの逸脱距離を実感することができない以上、そこにモラルが介在する余地もない。したがって、どんなに非常識な行為をした後でも、平気な顔で日常生活に戻ることができる。

「ブルセラ・ショップに出人りする女子高生を取材してみて、彼女たちの行動基準が普通と全然違うことが分かった。やって良いこと悪いこと、ではなく、それをやったら危ないか危なくないかで、彼女たちは動いている。なんだか動物みたいだよね」

先日、ジャーナリストの武田徹氏に会った際、彼は最近の女子高生についてこんな話をしてくれた。「ふつう」からの距離感を喪失した彼女たちは、危険を察知するそれぞれのアンテナによって、かろうじて自分自身を日常につなぎ留めているのだろうか。だとすれば、その逸脱ぶりをどんなに非難されようとも、とにかく自分の座標だけははっきりしていた「ツッパリ」のほうが、ある意味ではるかに楽な生き方だったのかもしれない。

     『季刊こども学』ベネッセコーポレーション 1994年

Posted at 02:25 午前    

月 - 1月 18, 2010

ツナギロックの系譜


ツナギといえば、代表的な作業着のひとつ。しかし、少々意外な場所で採用されるケースもある。たとえば、ロックバンドのステージ衣裳として。

ツナギをもっとも早く衣裳に用いたのは、おそらく米国のバンド、DEVOだろう。お揃いの黄色いツナギを着て演奏する彼らの姿は、テクノ・ニューウェイヴの走りとなった斬新なサウンドとともに大きな注目を集めた。70年代後半のことだ。

一方その頃、日本にもツナギをユニフォームとするバンドが登場している。宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドだ。白いツナギにリーゼントヘア。町工場の兄ちゃんたちがバンドを組んだような、やんちゃなスタイルで人気者になった。

さて、それから30年が経った今も、ツナギ系ロックの系譜は受け継がれている。DEVOを師と仰ぎ、一貫してツナギのユニフォームを着用するPOLYSICS。突き抜けた楽曲とパワフルなステージで、日本はもとより海外にもファンが多い。

仙台にある運送会社の社員が組んだ(という設定の)コミックバンド、仙台貨物のトレードマークもツナギだ。彼らのライブには真っ赤なツナギを着たファンが詰めかけ、会場付近の路上は異様な雰囲気になる。

自由や個性を旗印にしてきたロックがファッション化し、「ロック的なスタイル」が画一的になっていた70年代の終わり。そこに揃いのツナギを着て現れたDEVOの、皮肉なセンスは素晴らしい。彼らはユニフォームという一見没個性なスタイルによって、後世にまで影響を与える強烈な個性を獲得したのだ。

また、ロック創成期から愛用されてきたジーンズが本来は労働者の作業着であることを考えれば、ツナギも実は正統派のステージ衣裳といえるのではないか。そんなふうにも思うのだった。

「Uniform Plus+」2008年

仙台貨物は2009年11月の日本武道舘ライブをもって「倒産」。POLYSICSは2010年3月の日本武道舘ライブを最後にkayo脱退&活動休止。ツナギ系ロックの前途はなかなか多難のようです。求む後継者!

Posted at 09:25 午後    

CAユニフォームに関するあれこれ


あこがれの職業として昔から人気の高い、航空会社の女性キャビンアテンダント(CA)。スマートなユニフォーム姿で活躍する彼女たちは、テレビや映画の題材としてたびたび取り上げられてきた。

現在放送中の森永乳業「エスキモーpino」のテレビCMにも、CAが登場する。ピノ・エアラインという架空の航空会社のCAに扮するのは、人気女性ユニットPerfumeの3人。ユニフォームに身を包み、乗客にアイスを配るという役柄だ。

赤いワンピースのユニフォームは、レトロフューチャーな雰囲気。ユナイテッド航空が1968年に採用した、ワンピースのユニフォームに通じるデザインだ。「近未来テクノポップユニット」として売り出したPerfumeに、よく似合っている。 

また、Perfumeがさっそうと通路を歩く場面で思い出すのは、ヴァージン・アトランティック航空のCMだ。運行開始25周年を記念して作られたこのCMは、1984年の空港ロビーを、当時の赤いユニフォームを着たCAの集団が闊歩するというもの。バックに流れる Frankie Goes to Hollywood の大ヒット曲「Relax」が懐かしい。

ところでこのシーン、どこかで見覚えが…という人もいるだろう。それはたぶん、2002年公開の映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』。主演のレオナルド・ディカプリオがCAを引き連れて得意げに空港を練り歩く場面が、おそらく元ネタだ。

この映画の舞台となったパンアメリカン航空は1991年に破産し、世界の空から消えている。いっぽう、ヴァージン・アトランティック航空は、テーマカラーの「ヴァージン・レッド」とともに健在。シンプルなスーツスタイルとなった現在のユニフォームも、鮮烈な赤が、空港でひときわ目立っている。

「Uniform Plus+」2009年

Posted at 08:40 午後    

金 - 5月 15, 2009

学ラン娘の記憶


「学生服を着た女の子」を初めて見たのは、中学校の運動会だった。男子から借りた詰め襟の学生服を着て応援の音頭をとっていた、同じクラスの女の子。腰までたらした白ハチマキに、少し肩の落ちた学生服。その姿に、わけもわからずどきどきしたことを、今でもはっきりと覚えている。

そんな昔話を同世代の男たちにすると、たいてい「あれは良かった。なんか可愛くみえるんだよな」などと声があがる。学生服の女の子に関しては、みんなけっこう共通体験があるらしい。そして「そういえばテレビで桜田淳子が…」という方向へと、話はさらに進む。そう、大手学生服メーカーのCMに学生服姿のアイドルが現れたのも、ちょうどこのころだったのだ。カンコー学生服(尾崎商事)では桜田淳子が、富士ヨット学生服(明石被服興業)では山口百恵が、それぞれ詰め襟の学生服を着てテレビCMに登場していた。昭和48年から50年ごろの話である。
 
女の子が普通ではあり得ない服装をすることで生まれる、非日常的な魅力。当時はまだそんな言葉はなかったが、今思えばこの学生服姿は一種の「コスプレ」であり、やはり当時はそんな言葉はなかったが、この魅力を端的に表すには「萌え」という言葉がふさわしい。運動会で僕たちが経験した「萌えるシチュエーション」を超人気アイドルによって再現した学生服メーカーの一連のCMは、考えてみると実に巧い作りだったといえる。
 
さて、それから30年。現在では制服メーカーのCMに、男子学生服を着たアイドルが登場することは、残念ながらほとんどない。そのかわり、ある企業のテレビCMが、これと非常によく似た構造を持っていることに気がついた。人気アイドルの上戸彩と菊川怜がビジネススーツ姿で登場する、メンズプラザアオキのCMである。

特に注目すべきは、上戸彩の起用だ。ドラマ『3年B組金八先生』で上戸が制服代わりに着ていたのは、明らかに詰め襟を連想させる黒のスポーツウェアだった。性同一性障害の生徒という役柄とともに、そのスタイルは視聴者に強い印象を与え、彼女はアイドルとして一気にブレイクした。その上戸が、今度は男物のスーツに身を包んでテレビに登場している。これはもう、狙っているとしか思えない映像なのである。
 
『金八先生』で彼女のファンになった若者と、その昔に「学生服萌え」を経験した中年世代のサラリーマン。そのうちの何割が、このCMを見てアオキのスーツを買いに走るかはわからない。しかし、これだけは言えるのではないだろうか。かつて僕たちの胸をときめかせた「詰め襟アイドル」の系譜は、形を変えて今も脈々と受け継がれているのだと。
(2004年・雑誌掲載)

Posted at 08:09 午後    

木 - 6月 8, 2006

「スロット・スクエア」パチスロ業界の制服に「萌え」の概念を持ち込んだ画期的なユニフォーム


「アニメキャラのような制服姿の女の子が働くパチスロ店がある」という話を初めて聞いたとき、ついに来たか、と思った。「えっ?」という驚きと「やっぱり来るべきものが来た」という、妙な納得感。意外なような当然のような、不思議な感じがした。

問題のパチスロ店は、大井町にある「スロット・スクエア 」。そこの女性スタッフの制服が、もうどこから見てもアニメ系もしくはゲーム系のデザインなのである。
 
この制服を企画したのは、「スロット・スクエア」の若い男性社員さん。「店をオープンするにあたって、何か面白いことができないかと考えたのがきっかけ」という。そして美少女ゲームの原画などを数多く手がけているイラストレーター針玉ヒロキ氏 が、デザインを提供することになった。なぜ一般のアパレル業者ではなく、畑違いである針玉氏にデザインを依頼したのだろう? そうたずねると「以前から針玉先生の絵が好きだったので」という答えが返ってきた。なんだか、とてもシンプルな理由なのだった。
 
さて、その制服とは、どんなものなのだろうか。同店のホームページに紹介されている針玉氏の原画 を見るかぎり、それは従来のサービスユニフォームの範疇を越えた、非常にユニークなデザインだ。二次元のイラストとしては魅力的な絵だが、生身の女の子が着ることを考えると、少々非現実的にさえ思える。しかし、この制服はすでに採用されていて、現実に女の子が着ているのである。
 
店内で、実際に働いている女性スタッフの姿を見せてもらった。実物の制服 は、原画のイメージを忠実に再現している。しかし、イラストを見たときに心配した不自然さは感じられない。白と黒でまとめた落ち着いた色使いが、ラウンジ風の店内によく似合っており、制服そのものの仕立ても上等。「制服として普通にかわいいデザインになっている」というのが正直な印象である。聞けば、この制服はコスプレ用の衣装で有名な「コスパ」に制作を依頼したとのこと。デザインの良さと仕立ての良さの相互作用によって、二次元から三次元への変換に成功した、珍しいケースと言えるかもしれない。
 
もちろん、魅力的な制服を売りにしたパチスロ店は、これまでにもあった。それらはたいてい、レースクイーン風やバニーガールといった「セクシー系」のデザインだった。しかし「スロット・スクエア」の制服がアピールしているのは、お色気ではない。アニメやゲームのファンが、自分の好きな女性キャラに対する心情を吐露するときによく使う「萌える」という言葉こそが、この制服を表現するのに一番ふさわしい。つまり、パチスロ業界の制服に「萌え」の概念を持ち込んだ点において、この制服は画期的なのである。
 
考えてみれば、本来パチスロというのは「勝ってなんぼ」の、リアルな大人の趣味だ。一方アニメやゲームは、そんな大人の側から見れば浮世離れした子供っぽい趣味であり、ともすれば「オタク」の一言で片付けられがちな世界だ。客層が重ならない、という点で、両者はまさに水と油のような関係だったはずである。
 
しかし「スロット・スクエア」の制服は、その境界面がいよいよ本格的に融解していることを物語っているように思う。アニメやゲームに関する知識を「一般常識」として共有する世代が増えている現在、それはある意味当然のなりゆきなのだろう。「オタク」という言葉が死語になる日も、そう遠くはないのかもしれない。
 
 
 
『Uniform Walker Vol.4』角川書店/ボンマックス 2002年

Posted at 02:09 午後    

水 - 6月 7, 2006

「ハードウェアとしてのグラビアアイドル」水着姿のアイドルたちが訴えかける「可能性」と「実用性」


雑誌のグラビアを飾る、水着姿の新人アイドル。それをじっと眺めるときの気持ちは、新しいパソコンのカタログを熟読するときの気持ちに、ある意味で近いものがある。

アイドルのグラビア写真と同じくらい上質な紙に印刷された、デジタルなシズル感たっぷりの写真。そのボディを細部にわたってなめ回すように見つめ、キーボードやスイッチ類の感触に思いをはせる。アイドルのプロフィール欄でスリーサイズを確認するように、仕様一覧表に記載されたCPUの速度やハードディスク容量やメモリ容量を何度も確かめ、その数字に思いをめぐらせる。

パソコンのカタログを熱心に見るのは、もちろんパソコンが欲しいときだ。カタログの魅力的な写真や性能を誇示した仕様表は、それが自分のものになって初めて可能となる「こんなことやあんなこと」を約束してくれている。つまり私たちは、カタログを見ながら、ハードウェアとしてのパソコンに内包された可能性を想像し、その可能性に欲情しているのである。

新人アイドルたちは、えてして布地面積の少ない水着でグラビアに登場する。「抜群のスタイル」「美脚」「爆乳」など、彼女たちのセールスポイントは様々だが、要するに「ハードウェア」の部分で読者に訴えかけているわけだ。そして読者は、彼女たちの写真を食い入るように見つめ、その「ハード」によって可能となるであろう「こんなことやあんなこと」を想像し、その可能性に興奮を覚えるのである。

しかし残念なことに、ここから先はパソコンのようにはいかない。パソコンはお金を出せば自分のものになるが、アイドルは違う。写真集は買えても、本体は基本的に非売品だ。どんどん新製品が発表されるのに、誰も現物を買えないパソコンみたいなものだ。こんなのって、ありだろうか。強まり続けるオレの可能性への欲情を、どうしてくれよう。

おそらく、こうした読者の欲情をうまくコントロールできるかどうかが、アイドルとしての勝負どころなのだろう。読者の関心を、歌や演技やトークといった彼女自身の「ソフトウェア」の部分に誘導することができれば、水着アイドルはめでたく卒業となる。読者の欲情は、アイドル自身の可能性に対する興味へと、巧妙にすり替えられたわけである。

もちろん「ギリギリまでハードで勝負」というグラビアクイーン系アイドルもたくさん存在するし、それはそれでひとつの生き方だ。その場合、彼女たちの写真は「可能性」というよりも、むしろ「実用性」において、読者の支持を集めることになるのだが。

さて、今回このページで魅力的なボディを披露した三人の女の子は、その恵まれたハードを武器に、これからどんな戦略を展開していくのだろうか。
『週刊文春』文藝春秋社 2002年

Posted at 01:03 午後    


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